プロフィール Profile
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はじめまして。公認会計士の梅川貢一郎(うめがわ こういちろう)と申します。
プロフィールをご覧いただき、誠にありがとうございます。

開業するまで
私が某銀行の銀座支店融資担当の営業行員だったのは、日本経済がバブル真っ盛りの1989年のことでした。とにかく金利が多少高くても銀行から借金をして不動産や株を購入すれば、値上げ確実、絶対に儲かると日本人全員が信じていた時代です。
毎晩、銀座のクラブや料亭で接待攻勢を受け、多少危ない顧客にも融資を実行しまくっていました。おかげで営業成績は常にトップで高額のボーナスやご褒美のハワイ旅行を頂いていました。バブル経済とともに浮かれていた私は、人生こんなものかと高をくくっていました。
しかし、2年後の1991年からバブル経済の崩壊が始まります。ほとんどの銀行は多額の不良債権を抱え込み、貸金を回収ができないまま経営不振に陥ります。私が勤務いていた銀行も破綻し、外資系の金融機関に買収されました。
私は、勤務していた銀行を退職し、フランス系の金融機関に再就職しました。しかし、数年後、その金融機関も経営不振から日本から撤退することになり、私は早期退職に応じて会社を辞めることにしました。
私の父親は、もともと新潟県の教員をしていました。しかし、教員を辞めて東北電力に再就職し、40代で電力会社を退職、不動産業を開業しました。
当時、私は小学生でしたが、自営業の父親は、いつも日中は家でゴロゴロしており、夜になると飲みに出かけていました。それを見た子供の私は、自営業は自由で楽ちんな商売だと思っていました。しかしそれが勘違いだと思い知るのは30年以上たってからのことです。
勤務していた金融機関の破綻や撤退を目の当たりにして、やはり外部環境に束縛されない自営業こそが理想の仕事だと確信しました。
それではどのような仕事を始めれば良いかと思案したとき、たまたま古くからの友人が税理士事務所を開業していることを思いだしました。早速その友人を訪ねて仕事ぶりを見ると、やはり仕事は自由で楽ちん、お客様であるはずの顧問先の社長が頭を下げてくる「楽な商売」だと早合点し、公認会計士試験を受けることを決心しました。
思い込むと余計なことは考えずに猪突猛進するのは、私の数少ない良いところかもしれません。試験勉強を開始して2年後、運よく公認会計士試験に合格することができました。

開業後
私が会計事務所を開業したのは、2000年(平成12年)のことです。開業当時は「中小企業の町医者たれ」を使命に仕事を始めましたが、いかんせん肝心のお客様がいません。国民金融公庫(現、日本政策金融公庫)から1千万円の借金をして、生活費に充てていました。今から思えばずいぶん無謀なことをしたものです。
同じ時期に開業した税理士仲間と「誰が一番早く年商1億円を達成するか?(絶対に自分だ)」を競っていましたが、これといった営業活動もしなかったため、売上はまったく増えません。「ちょっとまずいな」、焦りばかりが募っていきました。
そんな折、あるホームページ集客のセミナーに参加しました。当時ホームページは今ほど普及しておらず、「思わず頼みたくなる!」、そんな気の効いた会計事務所のホームページは皆無でした。「これなら集客できるかもしれない。いやこれしかない」、そう直感した私は、すぐに制作を依頼しました。清水の舞台から飛び降りる覚悟で、なけなしの大枚100万円をはたきました。
これが思いもよらず大ヒット。
問い合わせの電話がどんどん鳴り始めました。商談や見積りと毎日大忙しです。顧客の中心層は、年商5億円くらいの会社。成長の壁にぶち当たり、なかなか年商10億円を超えられない、そんな悩みを抱えていた社長たちでした。私たちは、顧客企業の内部管理や財務体質の改善により、年商10億円を突破に向けて最善を尽くしました。
仕事は困難でしたが、うまくいった時の達成感は格別でした。何より喜ぶ顧客の顔を見ているだけで、それは最高に幸せでした。おかげで、私の事務所も急速に成長しました。1人で始めた事務所はわずか数年で従業員を10名抱えるまでになりました。念願の年商も1億円の大台を越えました。
すべてがうまく行っているように見えました。
ところが、気が緩んだのでしょうか。ある時期から以前のような情熱が湧かなくなりました。かつて子供のころ、自営業だった父親が毎日、家でくつろいでいた「理想の姿」を実現しようとしたのかもしれません。仕事はすべて従業員任せ、私はほとんど働かず昼間からビールを浴びるように飲むようになっていました。しかしまったく美味しくはありませんでした。
そんな折、2007年のサブプライムローンの問題に端を発した「リーマンショック」が起こります。私たちの顧客も相当の影響を受けましたが、私は相変わらず何もしませんでした。 そして顧客が私の事務所を離れ始めていきました。同時に従業員も一人、また一人と辞めて行きました。

すぐに手を打つべきでしたが、もうその気力もありませんでした。同業の会計事務所も私どもと同様なホームページによる集客戦略を行うようになり、自慢のホームページも、かつてのように活躍してくれません。売上はどんどん落ちていき、気がつけば3分の1まで激減していました。
すでに危機的状況でした。借金は雪だるまのように増え、私は自暴自棄になっていました。「会計事務所」は、典型的なストック型のビジネスモデルで、本来なら収益安定性の高い事業です。それにも関わらず、私は自らの手で経営を破壊してしまったのです。
そんな折、ある交流会に参加しました。
そこで起業したばかりの若き経営者の方とたくさん出会いました。みな使命に燃えてキラキラと輝いて見えました。彼らは事業に対する意欲はありましたが、実務経験が浅いため、経営のセオリーや財務や税金に関する知識がありませんでした。そこでちょっとしたアドバイスをすると、大変喜んでくれました。
そんな若き経営者の方と話をしている間に、仕事が持つ本来の面白さ、そして使命感が少しずつ蘇ってきました。一緒に夢を語り、事業計画をつくり、資金計画を作るうちに、自分自身も起業家としてのDNAが再び動き出しました。 彼らの役に立てることが本当に嬉しかった。相談に乗っていることが、時間を忘れるほど楽しかった。「もう一度やってみよう」。私に勇気とやる気を与えてくれたのは、そんな若き経営者たちだったのです。